映画『今を生きる(Dead Poets Society)』から考える~生きること自体に価値がある~

強い生き方 教育(Education)

私は映画が好きです。ジャンルは、恋愛・ヒューマン、SF・スリル中心です。心が揺さぶられる映画、ぎりぎり感を仮想体験できる映画、そして生き方を考えさせられる映画などが好きなのです。この映画は『生き方を考えさせられる映画』でした。

映画『今を生きる』(原題:Dead Poets Society)のあらすじ

1959年の厳格な全寮制名門男子校が舞台です。そこでの教育方針は、個性を尊重せず、優秀な成績で卒業し進学することを最重視しています。その環境下で抑圧された生徒たちが、赴任してきた型破りな教師と出会い、詩や文学を通して「自分で考え、自分らしく生きること」の大切さを学びます。そして、厳格な校風や親の期待との間で葛藤しながらも、自分たちの夢や進路について向き合い、自由な精神に目覚めていきます。しかし、伝統と規律を重んじる学校側や親と対立し、ある生徒は自分の思い・個性を親にも受け入れてもらえないことに絶望し、死へと追いやられます。しかし学校側はその責任の所在を(自由の精神を吹き込んだ)英語教師へと転嫁しようとします。

教育の軸はどこにあるべきなのか

この映画は、

『教育の軸を主体性、自由、同調性、規律のどこに置くべきなのか』

『大人が一方的に理想を掲げ、希望を示すことは生徒にとって支えとなるのか』

という問いを観る者へ問い続けています。

それぞれの立場の思想

名門校の教育方針     

伝統と規律を重んじ、進学実績社会を最優先して、エリート(高収入で権威ある職業に就くこと)を育てる教育方針。

親の教育方針      

偏差値の高い大学へ進学させ、(親と同等以上の)社会的ステータスを獲得し、安定した将来を歩ませようとする教育方針。これはつまり

  • 高収入
  • 社会的威厳
  • 世間体
  • 安定

を重視し、「親の設計図通りの人生」を歩ませようとする発想です。

英語教師の視点     

既成概念を壊し、生徒が「自分の声」を見つける手助けをする。
自立した魂で「今を生きる」よう促す。                                                             「自分の頭で考え、自分の言葉を持つ者」こそが真の知性ある存在だと説きます。                  既存の価値観に従うだけでなく、詩や芸術を通じて自らの魂を解放し、主体的に人生を切り拓くことを生徒たちへ求めています。

権威とそれに屈しない生き方とはードラマ『白い巨塔』ーとの比較

英語教師(ジョン/ロビンウィリアムズ)の生き方をみると、ドラマ『白い巨塔』が思い起こされます。

このドラマでは、大学病院という権威が横行する組織の中で、その文化を最大限力づくで利用し、のし上がりたい欲求に忠実に動き続ける医師『財前/唐沢寿明』と、対照的に「悩み続けることでしか医学の進歩はありえない」という視点を頑なにもち、組織との対立を拒まない医師『里見/江口洋介』の2人の関係が中心に描かれますが、里見助教授はその姿勢を貫いたために大学病院を追われることになります。

このように、映画のジョン(ロビンウィリアムズ)といいドラマの里美教授(江口洋介)といい、「組織と対立することをいとわず、自身の信念や思いをもとに突き進む存在」は、しばしば組織から追い出されます。

しかしここで大切なのは、「彼らがどういう組織に所属していたのか」という点です。                  『そもそも所属するに値しない組織』に過ぎない可能性もあります。                                                                  この名門校も大学病院も偏った方針の固守に頑なで、一教員が何を主張したところで組織の実態を変えるのは極めて困難です。仮にその環境に居続けることに対して、疑問をもったのなら、むしろ自分から去るのも積極的な選択肢ですらあると思います。                                                         白い巨塔では、結局、その医師(里美教授)は最終的に自分が求めていた環境に身を置くことができました。里美教授にとっては、『大学病院を辞めた』というのは、求めるゴールに向かうためのプロセスに過ぎなかったわけです。ここはとても大事です。表面的なこと=周りの価値観 にとらわれず、信念をもって自分の魂に従って生きることで求めているものが手に入るというわけです。

私は、このように信念があるならば、転職をいとわず、その信念に沿って進むような人が転職先を天職とできるのかなと思ったりします。

職場を天職に変えるには

信念は大事ですが、固守しすぎずフレキシブルに調整することは必要だと思います。信念と頑固は違うので、信念が頑固になったり保守になったりすると、天職からは遠ざかると思います。その意味では信念とセットでメタ認知(自分を客観的に見る視点)が大事だと感じます。そしてもっといえば、協調性も規律も大事です。これらすべて必要だと思います。問題はそれらのバランスをとることです。どれか一つに傾倒して視野狭窄とならないことが最も大事かなと思います。そして最後によりどころとすべきは『自身の思い』だと思います。

ドラマ白い巨塔では、里見教授の他にも、権威にしがみ付く医師『東教授/石坂浩二』の娘として佐枝子/矢田亜希子が登場します。彼女もまた自分の思いやビジョンを親に否定され、自由を厳しく制限されますが、里見助教授との出会いによって、信念を貫き「今を生きる」べく、強く立ち向かっていきます。

環境選択について

学校環境、家庭環境、職場環境、どこでも最後は迎合して受け身的に周りの流れに甘んじるのではなく、自分の思いや主体性を大事にして、それを自身の信念と変えて貫くことが自分の人生の輝きにつながると私は考えます。(信念の貫き方も大事です。強引ではなく、聞く耳は持った状態で調整する力も必要です。また、主体的であるならば、『周りに合わせるのも選択肢の1つ』となると思います。)

「今を生きる」とは自由に生きることか?自由は善なのか?

この映画では、親の権威で子供を縛りすぎ、子供の自由や主体性や個性までもが奪われました。        しかし、仮に、親が子供の自由や主体性を縛らなかったとしても、それが単に放任(ネグレクト)であった場合は、それはそれで別の問題が出てきます。                                     ここで重要になるのが、「自由とは何か」という問題です。                                               一つの正解としては、『自由とは責任が伴うもの』ということができるでしょう。責任を果たすことで初めて自由を主張できるのです。                                                              しかし現実には、責任を果たしていて自由を主張したところで、それが認められない場合もあります。この映画でも学業に励んで結果を出したからと言って、自由が許されるわけではありませんでした。

そんな時、大切な発想は何でしょうか。

愛の存在ー自由こそ善ではないー

この映画の世界観や時代背景を考えると、「自由の獲得は難しいが自由こそ善であり、そこには忍耐がつきもの」という発想になりがちです。アメリカ国歌が思い起こされます。しかし、「忍耐」と簡単にいいますが、実際のところ耐える気持ちだけでしのげるものでしょうか。                                 私はこの映画におけるテーマの本質は「自由」でも「今を生きる」ことでもないと思います。

「愛の存在」です。

愛の種類ー利他愛・無償の愛・自己愛ー

愛にも種類があります。一番大事な視点は愛の矛先が自分を向いているか他者に向いているかです。

この映画で出てくる生徒の親たちも、ドラマ『白い巨塔』の佐枝子の両親も、必ずしも子どもを自分の道具として見ていたわけではありません。彼らなりに子供を大事にはしていたのです。しかし、それは自分本位であり、実は愛していたのは子供ではなく、親自身だったということでしょう。(利己愛・小我の愛)そのため、親自身の価値観を絶対化し、それを合理化して子どもへ押しつけてしまいました。こうした親自身の主観の押しつけが、子どもを苦しめていたのだと思います。

つまり、『子供の思いを尊重する視点(そして子供への信頼)』が欠けていたのです。

大切なのは、映画の中のロビンウィリアムズのように、無償の愛(利他愛・大我の愛・自己愛)を注ぐ姿勢だと思います。                                                                私は、自由であっても、自由でなくても、そうした愛があれば乗り切れるし積極的に生きられると私自身の人生を振り返るとそう思います。やはり、美輪さんがいう『やっぱり愛よ』はその通りだと思います。

利己愛と自己愛の違い

利己愛は自分中心で周りを見ようとしない自己中心的な愛ですが、自己愛は純粋に自分を大切にする気持ちのことで、むしろ他者を尊重する上で必要なことです。自己肯定感にもつながります。

時代背景を「近代思想」と結び付けて考える

ここで時代背景について掘り下げて考えてみます。この時代背景は非常に単純明快。物質主義です。

つまり、

  • 希望
  • 感性
  • 感情
  • 精神

よりも、

  • 地位
  • 権威
  • お金
  • 実績

といった「物質的価値」に重きを置く考え方です。ここで重要なのが「主義」という言葉。これは二元論の構造を意味します。                                                                      二元論とは、近代思想の骨格であり、『「価値を置いているもの」こそが最も大切で、それ以外は捨象される。』という極端な考え方です。                                                                      そのため、この映画でも、権威、地位、お金等が最優先され、それ以外の個々の思い、感性などは切り捨てられるのです。                                                                  そう考えると、この学校の方針というのは『時代に従順な姿勢』という見方もできます。

脱近代の思想(ポストモダン)についてー『自由こそ善』ではない。ー

このように、近代は二元論という強い枠組みが象徴的ですが、1980年代以降、次第に「脱近代」という発想が生まれました。                                                                 それは『多様な個性その一つ一つが大切で尊重するべきである』という脱中心化の発想で、個性を大事にする考え方です。                                                                     でも、それは「個々が自由に好き勝手生きていい」という意味ではありません。                               近代思想があまりに無個性化を求めてきたその反動として、つい『個性は素晴らしい。みな自由を謳歌しよう!自由こそ素晴らしい!』という発想になりがちですが、それでは自由を絶対化してしまっており、近代と同じ『二元論』という枠組みに入ってしまいます。実際は、自由には責任が伴います。他者を尊重しルールを守り、周りとの調和の中で自由は獲得できるものなのです。

そう考えると、自由が善なのではなく、大事なのは多様な個性その一つ一つです。そして、そのたくさんの個性すべてが尊重されるためには自然と調和が必要となってきます。その意味でも必要になってくるのが『愛』だと私は考えます。

どんな時代にも通用する生き方とは

こうして時代背景を掘り下げてみると、時代によって、その根底に潜む考え方に大きな違いがあることがわかります。そこでどんな時代にも通用する生き方について考えてみます。                               私の個人的経験も併せて考えると、次の5つが大事だなと痛感しています。

  • 愛(無償の愛、大我、利他的な愛)
  • ビジョン(信念:やりたいこと)
  • メタ認知(理性的思考、客観的視点)
  • 自律(何かに依存せず、基準を自分の中にもつこと)
  • 相互交渉による経験(しっかり五感を使って様々な体験をすること)

私の場合は、どんな時も常に強力なサポーターとなるのが、自分自身が周りに与えたり、逆に周りから与えられたりする『愛』の存在です。美輪明宏さんがいう『結局、愛よ』という言葉が一番しっくりきて全てが腑に落ちる視点なのです。

もう1つのサポーターが『魂を成長させるという視点』です。                                                       この視点でいると、全てが貴重な経験で意味のあるものになり、逆境を前向きにとらえることができたり、行動力UPにもつながります。そしてこれを実現する上で必要な要素が

  • ビジョン(信念:やりたいこと)
  • メタ認知(理性的思考、客観的視点)
  • 自律(何かに依存せず、基準を自分の中にもつこと)
  • 相互交渉による経験(しっかり五感を使って様々な体験をすること)

の4つです。

ニールの精神状態(絶望状態)の背景に潜むもの

ここで、ニールが精神的に追い込つめられていった背景と関連させて考えてみます。彼が追い詰められたのは、『学校環境』や『家庭環境』といった不可抗力的な要素だけでなく『メタ認知』と『自律』の欠如という2つのキーワードが背景に潜んでいる気がします。

おそらくそこには、『彼自身の親への依存による視野狭窄(自縄自縛)』があったのではと感じました。                                                                                      彼に限らず、経済的に自立する前の発達段階において、親から精神的に自立することはとても難しいです。                                                                                つまり自分では自立しているつもりでも、実は親への依存や甘えがあることが少なくないです。        そしてそうした依存心があると、都合の悪いことに対して、えてして親へ責任転嫁することにもなりやすいです。                                                                         江原啓之さんは、不幸の3原則として

  • 『自己憐憫(自分てなんてかわいそう)
  • 責任転嫁(自分ではなく、◎が悪い)
  • 依存心(何かに依存する気持ち)

を挙げていますが、ニールには全てあてはまっている気がします。                                         しかし実際のところ、ニールの場合『友人や教師と紡いだ愛』や、彼らとともに、「古い教科書を破り捨てたり」、「夜中に洞窟に集まって詩を朗読したり」といった『相互交渉による経験(五感を伴った体験)』も積み重ね、俳優になるという『夢・希望・ビジョン』ももっていました。                   つまりきびしい学校環境や家庭環境を乗り切るための強力な武器(支え・サポーター)をもっていたのです。                                                                       そう考えると、ニールがあと1歩、そのことを自覚し、『教師や仲間からの愛や、様々な経験、夢』を大事にして、親の一方的な価値観のおしつけに負けない『自律心』と、親から経済的サポートを得られていることに対して『親への感謝の気持ち』を持てていれば、結果は違っていたかもしれないと思いました。                                                                                         私は、ニールに限らず、誰にでもそうした『武器』は持っていると考えます。                                        大事なのは、『僕には武器などない。不幸者だ』と視野狭窄して思い込まず『武器(心の支えとなるもの)に気づけていないだけだ。(それくらい視野が狭くなってしまっているのか~)』ととらえることだと思います。

おススメの視野(メタ認知)回復方法

①今の思いや考えをアウトプットすることです。文章化したり、誰かに聞いてもらったりします。2つ以上の手段を用いると格段にメタ認知が加速します。                               ②非日常的な経験や新しいことへの挑戦もとても有効です。そうした体験により自然と日常を相対化する(自然と森がみえるようになる)きっかけとなりやすいです。その意味では、旅は最適でおすすめです。

支えの候補

支えの候補に『人の言葉』があります。ニールのような精神状態の時に支えとなるかもしれないと思うのは、例えば江原啓之さんの発言です。(オーラの泉という番組で、丸山弁護士がゲストの時です)                                                                                                       『どんな形でもいい。生き抜いたものの勝利。生き抜くことに価値があり、それ自体がすばらしい才能。』                                                                               と言っていました。ただし文脈がありますので、これは好き勝手に生きてよいということではありません。自分の才能に悩んでいる人たちへのコメントで、                                                                        「(様々な事故や事件や病気であふれる憂うことの多い世の中で)今まで生き続けてこれた、それだけで素晴らしい才能で、今生きているそのこと自体に自信を持ってよい」とおっしゃっていました。                                                    少しそれますが、才能については福山雅治さんがこうも言っていました。『才能とは続けること』と。         また、大学時代に、学科の先生がおっしゃっていたことも思い出されます。                                           『人生に勝つことはできない。でも、あきらめない限り負けることはない。』 

まとめ

私は、この映画を通して、改めて生き方について根本的な考え方を見直すことができました。         常にこうした考えすべてを体現し続けることは難しいですが、その一歩は『意識すること』だと思っています。

蛇足:大学のレポート対策について

この記事のように、『教育上の課題を近代思想や脱近代の思想と結び付ける』展開は、大学の教育学部におけるほとんどの授業で活用できます。(具体例など別記事:工事中)実際私は、8割がた各授業のレポート課題をこの『近代思想と脱近代の性質』を活用して取り組むことで、大体AかSでした。

そして、それらの知識を学ぶのにおすすめなのが以下の書籍です。2000年頃に書かれていますが、下手な占い師よりよほど未来を的確に予言しています。

参考文献:小論文を学ぶー知の構築のためにー長尾達也←アマゾンはこちら 

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